『フィリピン行って来ました! そして、I LOVE PHILIPPINE ! になりました^^』
これが、私が日本に帰ってきてすぐ書いたブログの冒頭です。
私がこのツアーを知ったのはインターネットのサイトでした。高校生のときからずっと植林をしてみたかったので、「植林」というキーワードでネット検索したのです。そして見つけたのがこのイカオ・アコのツアーでした。植林ができて(しかもマングロ-ブ植樹!)、ツアー料金が安く、なかなか行く機会のない国に行けることが参加の決め手でした。また、「やりたいことを自由にやれるのは大学2年生までだ!」という焦りもツアー参加を決断する大きな要因だったと思います。
そしてツアー参加を決意し親に報告したのですが、そこで親の大反対を受けました。
「フィリピンは治安がよくないのではないか」「あやしいツアーで、娘がだまされているのではないか」というのが親の意見でした。親が反対したまま行くわけにいかないので、私はイカオ・アコ代表の後藤先生にメールを出して、フィリピンでは携帯電話を後藤先生が持っていて貸していただけること、市役所や現地のスタッフが同行するので安全面でも問題ないことを確認して、親の了承を得ました。実際、フィリピンでは毎日のように親に電話し、無事であることを報告していました。毎回携帯電話を貸してくださった後藤先生に感謝しています。

フィリピンではたくさんの素敵なキラキラ輝く忘れられない思い出ができました。
☆バコロド空港に降り立ったときに見た夕日と私たちを待っていてくれた現地スタッフの笑顔
☆毎朝食べたマンゴーの色と味。
☆はじめて会ったのにすぐに心を開き、いつも笑いあい楽しく過ごした仲間。
☆無人島での夕日と流れ星。
☆モリコと名づけた大きなヤモリの泣き声。
☆ツアー参加者もスタッフも一緒になって練習した踊り。
☆マングローブの不思議な種子のかたち。

☆無人島の朝の不思議な鳴き声の競演。
☆後藤先生とフィリピン人スタッフ(レオ)のジョークの多発。
☆英語がわからない私にも楽しく優しくしてくれたフィリピン人スタッフ。
☆マングローブを植える浅瀬の泥の感触。
☆コックを目指しているフィリピン人スタッフ(エルマー)がわざわざ作ってくれた料理。
☆一緒に植樹をした子供たちの積極さ。
☆気持ちいい道を必死にこいで移動したトロッコ。
☆リサイクルバック屋で出会った男の子と遊んだこと。
☆気持ちのいい青空。
☆スタッフから聞く興味深い話の数々。
☆フィリピン人のセクシーな踊りと初ディスコ体験。
☆最後にフィリピン人スタッフと離れるのがつらくて泣いてしまったこと。
今、思い出して羅列しているだけでも、泣きそうになります。たった8日間のこと、もう半年以上前のことなのに。。
こんな素敵な体験を通し、たくさん私に変化が起きたのですが、その中でも特に大きい変化が3点ありました。
第一に、冒頭に述べたようにフィリピンが大好きになり、ぐっと身近な存在として感じられるようになったことです。
第二に、英語が大の苦手で嫌いだった私が、英語に嫌悪感を示さなくなり、勉強意欲が沸いたことです。フィリピンの人たちと毎日一緒にいて、「もっと話したい!もっと仲良くなりたい!」と強く思いました。その思いの強さで英語が嫌いで英語から逃げていた自分は吹き飛ばされました。フィリピンを立った後も初めて英語で手紙を書きました。現在私は環境活動をしている海外の人と交流する会のスタッフも少しやっていますが、イカオ・アコのツアーがなければ、このスタッフもやらなかったと思います。

第三に、マンゴーが好きになったことです。もともと生のマンゴーは食べたことなく、マンゴー味のヨーグルトを食べたときにこれは苦手だ、と思っていたのですが、素敵な生活の中での食べ物はみなおいしく、マンゴーもおいしく毎朝食べていました。そして今はそのキラキラしたあの時間が懐かしくなり、ついついマンゴー味の製品を買ってしまったりするのです。ちなみに一緒に行ったT君にも同じ症状が現れていました。
まさかこんなにフィリピンの人と土地、あの空間を好きになるとは思いませんでした。はじめはただ、植林がたくさんできればそれだけでいいと思っていたのに。
帰りたい場所が増えたのが嬉しく思います。
このツアーにめぐりあえたことは幸運だったと思います。
そして、あの7泊8日は私の大切な大切な人生の宝物です。
(第37回 Kさん記)